何故フリーランスになったのかを振り返る~就職活動から新卒で保険代理店で奮闘するまで~

中山テック代表です。

しばらく各ジャンルのコラムが書けそうにないのですが、でも何か書きたい!

カタルシス的役割も担ってたブログをストップするのは色々こじらせそうなので・・・

しばらく「代表の日常雑記」というカテゴリーで書かせてもらおうと思います。

※気分次第で内容を決めてるので時系列などは気にされぬよう・・・

フリーになって10年が経とうとしておりますので、しばらくはフリーランスになるまでの経緯を執筆したいと思います。

私のキャリアはシステム開発ではなく、保険募集人からスタートしたのであります。

しかも受ければ誰でも内定を取れる、離職率が非常に高い「ブラック企業」と呼ばれる会社でした。

就職活動で最終まで行った会社はあるものの、ブラック保険屋さん以外はすべて今後のご活躍メールが来まして(汗

システム開発の会社もたくさん受け、もちろん全滅。理由を思い返してみると・・・

1.システム開発会社はほぼ全て適性試験で落とされた(向いてないことは重々承知)

2.大学時代に就職についてほぼ相談しなかった(人間関係の構築が下手)、ゼミに入らなかった

3.会話がとにかく下手

就職氷河期世代を理由にしたくはないですが、時代が時代ってのもあったかもしれません。

にしてもこれから社会人になる適性すらなかったのは多くの会社が見抜いていたのではと思います。

※会社の人事部ってやっぱスゲェ!

保険代理店に入社

どんな仕事?

1.リスト化されている電話番号に片っ端から電話

2.話を聞いてくれる人に保険を勧め、資料を送る

3.資料に契約書が入っているので個人情報記載・捺印のうえ投函してもらう

いわゆる「テレフォンアポイントメント(テレアポ)」と呼ばれる内容でした。

※どこの会社に勤めてたかピンと来たアナタには「光の戦士」の称号を与えます笑

CMをよく流している外資系の保険商品を売っておりました。

とにかく会話のできない営業マン

会話が絶望的に下手なのでまぁ私に務まるわけがないんですよ。

第1段階の「お客様に資料を送る」ことも嚙みまくり、キョドりまくりでお客様からのガチャ切りが続きます。

入社して数日で「お前本当に使えねーな」と言われたのはいい思い出です(笑)

悔しさバネに

そんなやり取りが繰り返されてくると反骨心も芽生えてくるってもんで。

あと、慣れ。怖いですね、コレ。お客さんとも話せてくるし、資料も送れるようになってくる。

色々な人と会話ができるようになる、相談するようになってくる。

大学時代に物を売り込む経験もあったので、少しずつ形となっていきました。

まずは会社で何をすべきかを覚えること、自分の能力をどう活かすかがマッチし、やっと数字に繋がりました。

沖縄へ

入社半年頃、統括部長さんからとあるメールが送られてきます。

「沖縄に新しい部署を立ち上げるので一緒に行くメンバー募集」とのことです。

「まぁ奥さん、沖縄ですってよ!沖縄!」と旅行ばりのテンションでメールを見、沖縄行を決意。

東京組からそこそこ立候補が出たようで、数十人で羽田から沖縄へ向かいます。

沖縄は寒い(11月~)

さてさて、長袖を持たず旅行気分で行った沖縄は11月からスタートしたのですが・・・

実は海風が徐々に冷たくなり、半袖では生活できなくなって観念して長袖とハロゲンヒーターを購入(汗

喫煙所で震えるレベルの寒さでビックリしました。

仕事は慣れたが労働時間に疲弊

さて本筋、お仕事は朝9時に始まり、終わりが22時となかなかのカオスっぷりを体験しました(汗

そしてお休みも月3回、最終週は13連勤という今ならニュースになりかねないレベルで仕事してました。

よく過労死者出なかったな・・・

以前ブログで執筆した乾癬を初めて発症したのがこの時期です。

成績を出した月もあったが・・・

数字は良い時で全体30位程(1000人位いました)、この頃になるとお客さんとの会話はいい感じにできるようになってました。

とはいえ20代の若造、世間話となると(人生)経験不足が露呈します。

やはりこの手の仕事は「興味ないことでもチャレンジしてきたか」という話の引き出しは必要と痛感しました。

ここの不足が故に逃した数字も多かったと思います。

あと、ライバルがいたのですが抜いた瞬間燃え尽きちゃいました笑

とにかく楽しかった

疲弊していたのでは?とお思いかもしれませんが、東京組のメンバーとはよく遊んでました。

休みの前日(でなくても)に飲みに行く、プライベートビーチでビーチパーリーなどなど。

あと皆苦労していたせいか、連帯感も強くなって東京帰ってからも一緒に遊んだりしてたものです。

苦手のゴーヤも食べられるようになったり、沖縄そばに感動したりetc・・・

そして初の一人暮らしを経験し、大変さと共に模様替えや自炊等自立に役立つことを学べたのは大きかったですね。

帰京

怒涛の沖縄は8カ月で幕を閉じます。

※心身共に疲弊し、帰京願い出しちゃいました

最後は伊計島までの橋の真ん中で初の海水浴を楽しんで終わりを告げました。

帰京後

そして退職へ・・・

新規獲得業務から保全業務を行う部署に移ったため、身体はだいぶ楽になりました。

が、多少の余裕が出た所でふわっと「パソコンに関わる仕事がしたい」と思うように。

※この頃は「システム開発」だの何だのって表現が出来ないほどの素人でした

金銭面はもちろんのこと、どうしてもやりたい仕事だったのが理由です。

有給休暇を丸1ヶ月分もらい、転職先が何とか決まり完全退職。

2年ほど在籍してたと思いますが、個人的には5、6年はやってたんじゃないのかと思うほど密度は濃かったです(汗

転職活動

さて、私のような文系かつ適性検査で落ちまくった者がそうそうに拾ってくれる会社はございませんでした(汗

とりあえず経歴が欲しかったので1社「C言語の案件しかないけどそれでも良ければ」と仰ってくれた会社に拾ってもらいました。

ここから私のSEとしてのキャリアがスタートするのですが、それはまた後日時間ある時にお話したいと思います。

保険屋時代・総括

フリーになれたのは、保険の営業をしていたのが非常に大きかったです。

ここで身についたことが

・人との会話が苦でなくなった

・目的を達成するためのヒアリング・提案ができるようになった

・苦手だったインプットが少々改善された

・理不尽な説教に慣れた(これはデメリットしかないw)

ただ途中でも話したように「心身共に疲弊」したことは私の人生に大きな影響を与えました。

数年後に形となって現れてくるのですが、苦しめられると同時に救われる形となりました。

それはまたどこかで・・・

※性格から来る心配や不安を和らげるためのブログですので軽い気持ちでご覧頂けると幸いです。

※中山テックに掲載しているゲーム画像の著作権、商標権、その他知的財産権は、当該コンテンツの提供元に帰属します


おすすめの記事