何故競馬をやるようになったのかを振り返る~救われたが、学生時代ならではの遠のく経験も~

中山テック代表です。

さて、前回の雑記はフリーランスになった経緯をつらつら書き殴ってきましたが・・・

今回は競馬にハマったきっかけのお話をしたいと思います。

※未成年の勝馬投票券(馬券)購入は認められておりませんのでご注意ください!

中3の15歳の頃でしょうか、当時「ダービースタリオンⅢ」というゲームが流行っておりました。

兄とよくプレイしていたのですが、それを見た親父が「競馬やってみる?」と声を掛けられました。

ちょうど秋口、この週の目玉レースは京都競馬場で行われる「菊花賞」でした。

んで恐らく競馬エイトか何かだと思うのですが、こちらを見ながら予想大会が開催されました。

この年は東京優駿(日本ダービー)でダンスインザダーク号がフサイチコンコルド号に交わされる大番狂わせが起きた年。

何となく知ってはいたのですが、何故か菊花賞の前哨戦のOPレースで負けていたのが気になってました。

私は迷うことなくダンスインザダーク号本命。ヒモにフサイチコンコルド号、ロイヤルタッチ号、カシマドリーム号、ミナモトマリノス号辺りを選んでた気がします。

そして当日、終わってみると予想が的中!数ある予想データを選んだり当日の様子を見たりと、パズルを組み立てるようで面白く、ドハマりしていきました。

※この頃は馬連までで、馬単・三連複・3連単・ワイドがない時代

いざ、競馬場へ

東京競馬場(府中)へ

当時は埼玉県の所沢市という所に住んでいたため、最も近いのは東京競馬場(府中)だったのです。

実際にナマお馬さんを見たくて菊花賞後に親父に連れて行ってもらいました。

※未成年は親の同伴、勝馬投票券の購入をしなければ入場は全く問題ありません

異質さに魅力を感じる

なお当時の府中は床にシケモクやはずれ馬券、間違えたマークシートが散乱している無法地帯でした。

挙句の果てには馬券売り場の所で数千円を誰かがほんの1、2秒置いた瞬間にスられる事件にも遭遇。

と、衝撃を受けつつも基本は「どの馬が勝つか」に夢中になっており、当然他の人はアウトオブ眼中。

殺伐とした場所ではありますが、目の前の勝負に一所懸命になれる場所に魅力を感じるようになっていきました。

荒んでたメンタルを癒せる場所を見つけ大歓喜

子供というのは残酷なもので、普通の見た目をしていない人にはまぁ厳しいんですよ。

もちろん子供だけではなく、近い親類もなかなかに厳しいもので、子供ながらにメンタルを削られている時代があったわけで。

そりゃもう全員が「敵」になるわけですよ。

心当たりある人は是非気を付けて欲しいのが「誰かと比較する」のはやめましょう(身内であっても)。

子供のメンタルに対してナイフを振りかざしているようなもんなので。

しかもコミュニティも限られる、本当に嫌な子供時代を歩んできたものです。

常に全員が敵と思って生活していたら・・・そりゃもうノイローゼになるのは想像は付くのかなと思います。

その中で見つけた見た目やら何やらをとやかく言われない場所、競馬場にだんだん引き込まれてきました。

とにかく予想が楽しい

本筋に戻すと、未成年なので勝馬投票券が買えないので新聞見て予想するだけにとどまりましたが、とにかく面白い!

初めは競馬新聞読むのに苦労しましたが、これもだんだん慣れてくるんですよね。

そこで誰の予想が当たりやすいとか、府中や中山の特性を知り、どのジョッキーが上手いかなどなど・・・

道悪(どうあく)やタイム、前半後半3ハロンの数値はどうか等々・・・とにかく没頭しておりました。

高校生

一瞬、足が遠のく

さて、高校に進学してすぐなので競馬ばっかりできない状況が増えてちょっと足が遠ざかりました。

生まれて初めてのパソコン(PC-98)を買ってもらったり、人生初のバイトを始めたりと忙しい日々を過ごしてました。

いわゆる学校以外のコミュニティがどんどん増えていったということでしょうね。

と、思いきや足が近づく

遠のいた足が近づいたのは1年ぶりの京都競馬場で行われる「菊花賞」。

またもや家で親父が新聞を広げ、私や兄と予想大会を開きました(多分馬券は買ってない、と思います汗)。

1997年度は主役が不在でした。

というのも、サニーブライアン号という皐月賞・東京優駿(日本ダービー)を連覇した馬が骨折(のちに屈腱炎を発症して引退)で不在だったからです。

となると、目玉はクラシックから1番人気であったメジロブライトになるのですが、詰めの甘さが気になりました。

代わりに上がり馬のマチカネフクキタル号が秋のトライアル戦線の主役に躍り出ていました。

私は迷わずこの馬に本命を打ちました。

相手はメジロブライト号を筆頭に、ダイワオーシュウとシルクジャスティス等全4頭をヒモにしました。

1番人気はシルクジャスティスでしたが、実はブライアンズタイム産駒の不安定さにはこの頃から疑問を持っていたので本命には出来ず・・・

またしても的中

1着は予想通りマチカネフクキタル号、2着はダイワオーシュウ号とドンピシャでした。

この出来事が、今でも競馬を続けるバイアスになったのは言うまでもありません(汗

南井克己騎手、本当にありがとうございました!

この頃から毎週のように競馬場に通うようになりました。

有馬記念でやらかす

1997年の有馬記念ではマーベラスサンデー号に◎を打っていました。

ここは問題ない予想だったのですが、ブライアンズタイム産駒の不安定な走りを嫌った自分はシルクジャスティス号を外すというトンデモ行動に。

親父から呆れられたのは言うまでもありません(親父はバッチリ的中してました 悔)。

この菊花賞1番人気馬が有馬記念で好走するという教訓が活かされるのは、2018年ブラストワンピース号の有馬記念まで20年の歳月を要します。

1998年

観戦数が最も多かった年

人生で最もGⅠレースを見た年です。バイトももちろん続けていたのですが、日曜日は競馬場に行くのでシフトを外してもらってました。

GⅠレースを見ていたきっかけは、レース前のファンファーレで手拍子をしたいという不純な動機。

この年は多くのレースを観に行きました。

・優駿牝馬(オークス)

・東京優駿(日本ダービー)

・安田記念

・天皇賞(秋)

・有馬記念

当時はギリギリ人混みも大丈夫だったので、多くの大人たちに囲まれて手拍子してましたよw

レースが始まると実況が聞こえなくなるのも体験しました。

皆それぞれ思い思いの馬券を購入し、勝って欲しいという気持ちが全面に出ているのを見るのも好きでした。

優駿牝馬(オークス)で神掛かり的予想をする

この年の優駿牝馬(オークス)で5頭BOXで予想したのですが・・・

なんと全頭5着以内に入るという、運を使い果たしたかのような神掛かり予想をしてしまいました(汗

まぁ◎を押したのはラティール号だったので、予想大会開いていたら怪しかったと今では思いますが・・・

なお次にここまでの完璧な予想をするのは2019年の菊花賞と、実に20年の歳月を要することになります。

人生初万舟をゲット

周りの大人たちが万馬券ではなく万舟と呼んでいたことから万舟と呼ぶクセがついています。

恐らく12月頃だったと思うのですが、マークシートの塗り間違えで300倍の的中をしました。

※何度も言いますが、今頃は三連単や三連複、馬単がないので馬連で万舟当てるのは至難の業の時代です

受験

現役

私、元々商業科所属していたので大学に一般入試するには普通科の方の何倍も勉強しなければなりません。

なので池袋の予備校に通ってひたすら勉強してました。

が、息抜きに競馬場には通っておりました。ただ予想に没頭しきれず惜しいレースが続きました。

例えば優駿牝馬(オークス)ではトゥザヴィクトリー本命にしながらウメノファイバーを買えなかったり。

東京優駿(日本ダービー)では穴を狙ってトリガミだったりと散々でした。

結局この年は受験しても不合格が続いて、無事浪人が決定してしまいました。

浪人

この年はほとんど競馬をやらず。

ただ、土曜日はテレ東の結城未来さんが司会やってた番組とスーパー競馬は録画は欠かしませんでした。

※当時はインターネット黎明期であり、情報はテレビが主流だったのでこの方法を取らざるを得ませんでした

受験が終わって大学に入ってからまた足が近づいていきます。

大学時代

別の趣味に目が行く

さて、大学生にもなると心身共に大人になっていくので、夢中になる時期も終わりを告げていきます。

この頃には、長い間蝕まれていたノイローゼからも無事解放。

徐々に平場の予想する回数が減り、大きなレースだけをやるようになっていきました。

競馬以外では草野球にのめり込んだり、様々なバイト(塾講師や棚卸等)を経験したり。

お金が貯まったら北海道や深夜バスで大阪の方に行ったりと新しい趣向に目を向けるように。

なかでもオンラインゲーム「Lineage」への熱の入れようなかなりひどかったです。

授業サボってネットカフェに入り浸ったりと、まともな生活をしていなかったように思います。

素直な人間は心にグッときますよね、これ。

そのブチ切れ出来事が原因で現場から去る(クビ)ことになりました(8カ月在籍)。

大学時代の神掛かった予想

徐々に競馬熱が下がっていったので1つだけです。

それは2002年のNHKマイルカップ。

本命はテレグノシスとアグネスソニック。この組み合わせだけ1,000円分買いました。

他はテレグノシスから数点ヒモで、こちらは100円程度。

無事1,000円の組み合わせが的中し、ホクホクしたのは良い思い出です。

たまには行く大きなレース

優駿牝馬(オークス)は思い入れのあるレースなので毎年行ってました。

他マンハッタンカフェが勝った東京優駿(日本ダービー)等行ってましたが、手拍子も徐々に飽きてきた頃でもあります。

ついに競馬から離れる

このブログでもお話しましたが、沖縄に行ってから競馬から完全に離れました。

恐らく2005年、不安定ながらも10年程続けてきた競馬に別れを告げました。

まずWINSすらなく、Patも抽選?で当たった人だけが専用の機器を手にして予想できるシステム。

※当時即patという便利なシステムはなく、インターネットも完全普及には程遠い時代

そんな私が再び競馬を再開するまでに10年を要しますが、それはまたいずれ・・・

まとめ

さて、競馬にハマったきっかけ(前編)をお話させていただきました。

次の現場では1年4カ月契約社員を経験。その後フリーになり、2024年でめでたく10年を迎えます。

最初のブログでお話した営業マン時代の経験が今になって役立つとは・・・人生ってわからないもんですね。

もっと早くフリーになっておけば良かったと思いつつ、一部の経験が大きかったので後悔はありません。

戒めとしてもう一度書いておきますが

「自分の人生は、自分だけのもの」で「誰からも好かれることなんでない」ですし、目の前の事を一所懸命やるだけでいいと思ってます。

このご時世なので少なくなりましたが「コイツ思い通りにならないからムカつく」と思ってる人も一定数います。

また、わかったフリしてマウント取ってくる方も一定数います。

可哀想な方として反面教師とし、わからないことはわからないと言うスタンスがいいと思いますョ

せっかくなので強気で行きましょ?(笑

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